限界集落から見た日本

Fuchs真理子さん公文式メアブッシュ教室、教室便り第140号より

前回の教室便りに、脱原発運動の話を書いた。福島の事故のあとでやっと明らかになったように、原発は、いわゆる「原子力ムラ」をなす、電力会社・官僚・御用学者たちの自己利益追求と、原発立地に落ちる麻薬のような給付金と、強力なスポンサーである電力会社の、マスコミを使った安全神話や電力不足というマインドコントロールによって、維持されてきた。自分の今までの無知・無関心を反省するだけでなく、このような事実が分かった今、危険極まりない、かつ恒常的に核廃棄物を生み出して環境を汚染する原発に反対するというのは、私にとってみれば、人間として自明のことのように思えるのだが、原発の立地する地元では、こういう感覚は共有されていないらしい。たとえば今回の選挙で、原発を保有する選挙区ではもれなく、原発維持も辞さない自民党が当選した。あの過酷事故のあった福島県ですらそうなのだから、何をかいわんや。と、思っていると、その謎を解き明かすような好著を読んだ。開沼博「フクシマ論」がそれである。

 脱原発運動の問題点は、原発の地元への視点が完全に抜け落ちていることだと、本書は指摘する。すなわち、フクシマは、自ら欲して原発を「抱きしめた」のであって、ここが理解されていないのだという。危ないとはわかっていても、ほかに選択肢はなかったから。この福島出身の社会学者の分析によれば、福島県内で、原発の立地する地域は「日本のチベット」と呼ばれたところだった。歴史的に見ても、常に県内の他の地域と比べて発展が取り残されていたそこが、原発により、長年の困窮から抜け出せるようになる。ただし、それはまったくの無知からもろ手を挙げて誘致したのではなく、「うすうす危険性に気づいていた」感情を抑圧しつつも、次第にそれにはまっていったのだという。そこには、日本の経済発展に伴う産業転換や、中央・地方の力関係、更にあえていうなら差別の構造が複雑にからんでいる。脱原発運動に携わる人たちの、往々として、フクシマの人々へ向けられる視線、「何もわからないまま、国策の犠牲になったかわいそうな人たち」も「確信犯的に原発を誘致した人たちの自業自得」も根本的な誤りだと伝える。では、この人たちとどのように連帯できるのか。

 ある意味、都会で「脱原発」を叫ぶのは、すごく簡単だ。多少は節電を意識し、それを励行するにしても、原発があろうがなかろうが、自分は今までどおりの生活を維持できる。しかし、原発立地に暮らす人々は、原発が失われることは雇用が失われ、地元の経済力が失われ、元の木阿弥、いや、原発で環境が破壊されているから、もっとひどい状態の中に投げ出されることになる。つまり、脱原発を都会でいくら訴えても、その電源を送っている地元の人たちと真に結び合っていかなければ、ただのひとりよがりに終わってしまう。もっとも、「フクシマ論」は、、フクシマの人たちがどのように原発を自分たちのものとしたかという分析は述べるが、今後の展望については何も触れていない。

 かつては、「日本のチベット」と言われたところ、過疎の村、すたれゆく暮らし。そういうところが、今も日本のあちこちにあるということは、都会の人間は知識としては知っているだろうが、実際にどのようなところか、わかっているのだろうか。しかも、こういう地域が今、かなりの速度で増加している。たとえばここ数年来、「限界集落」という言葉が、マスコミに登場するようになった。なんといっても、この言葉には衝撃的な響きがある。これは、高知県の山村集落の実態調査をした大野明による造語で、その定義によれば、「65歳以上の人口が半数を超え、高齢化で集落の自治機能が急速に低下し、社会的共同生活の維持が困難な状態にある集落」である。実は、今、日本で禅の修行に励むうちの夫は、静岡県川根町の限界集落で暮らしている(写真手前は茶畑)。

 この峠の小集落には全部で6軒家があるが、そのうち人の住んでいるのは2軒のみ。あとはすべて空き家である。ここを少し下りていったところにもいくつか集落があるが、どこもみな似たり寄ったりで、暮らしているのはほとんどが高齢者。本来は茶の産地なのだが、今の時代、お茶はペットボトルのお茶に押されて、普通のお茶がなかなか売れなくなってしまった。下の町に下りていった農民たちが折々来ては、茶畑の手入れをして、細々と生業に励んでいる。

 ドイツからこの村を訪れると、胸がしめつけられるように懐かしい日本の風景がある。人工物のあふれる大都会からはもうとっくに消えたもの、短歌や俳句の大好きな私は、山の上にぼんやりとかかる霧や一つ枝に残った柿の実を見ると、長い間日本人に伝えられてきた季節と言葉の繊細で美的な感覚がよみがえる。私自身、ドイツに来る直前、南アルプスの廃村に8年間住んでいたこともあって、自然の営みには人一倍鋭敏である。こういう里山の景色を、時代の流れだからといって、本当に打ち捨てていいものか。それは日本人が自分たちのアイデンティティを否定することではないか。

 では、誰がここに住み、この文化を継承していくことができるのか。そして何よりもまず、どうやってここで仕事を創り、生活を築いていけるのか。そこで唐突だが、こういう世界とあまりに対照的な就活の現状について考えてみる。先日、公文のOBが日本から訪ねて来てくれた。大学3年生の彼は、これから始まるシューカツが本当に大変だとちょっと憂鬱そうだった。今日、若者にとっての先行き不透明感は、私たちの世代と比べて想像を絶する。「いい学校へ行って」「いい大学を出て」「いい会社に就職する」という図式は、もはやごく一部の人間にしか通用しない。

 文科省の調査によれば、大学を卒業した学生の中で、安定した雇用に就けなかった者(非正規雇用やアルバイトに従事する者、あるいは進学も就職もしなかった者)は、全体の22.9%だという。また、経済同友会が2012年に発表した新卒採用市場の概要では、大卒の就職希望者45万人のうち、就職人気ランキング上位200社の「超大手企業」に就職できるのは2万人のみ。つまり、上にあげた昔の常識が通用するのは、大卒者全体の4%しかいないのだ。小学校の一学級35人として、最後まで「勝ち残れる」のはわずか1,2人。あとは、すべて失意と挫折と大企業の正社員に比べれば極端な低賃金に苦しまなければならないのだろうか。そして、今の時代の問題点は、いわゆる滑り台社会と言われるように、いったんコースから外れると取り戻すすべが

なく、新自由主義の風潮の中、すべて自己責任だとされてしまうことである。リーマンショック後に出現した「年越し派遣村」は、経済の風向きによっては、いつでも再現されうるのだ。運よくシューカツに成功して大企業に就職できたとしても、そこには極端な長時間労働が待っている。なんと病んだ社会だろう。

 でも、発想さえ変えれば、この状況も変えられるはずだ。少ないパイを奪い合うシューカツから、地方へ若者たちが移動して、そこで新しい働き方、新しいビ

ジネスを開発できないものだろうか。そう思いながら、冬休み、限界集落やその周辺についての本を何冊か読んだ。いくつか勇気付けられる事例があった。村おこしといえば、例の「葉っばビジネス」(役場職員がリーダーとなって、地域で採れるきれいな葉を大都市料亭の彩り用に販売するビジネス)が有名だが、集落消滅の危機感から結成された住民参加の自治的共同体やグリーンツーリズム(農業を観光資源として活用すること)も各地で散見される。何よりも高齢者しかいない集落では、若者を大切にしてくれる。高齢者と違い、IT機器を使いこなし、田舎と都会の距離を軽くクリアできる若者たちの知恵と行動力は大きな力になるに違いない。地域支援を職業とするケアマネならぬ「地域マネージャー」なる仕組みづくりも進んでいるという。

 そこで非常に興味深いのは、農家の人たちの希望する収入額が、せいぜい年間100万円程度余計に入れば皆満足できるという調査報告である。大きな公共事業は要らない。このように小さな経済を多数作り上げることができれば、その流通経路や管理面から「中くらいの経済」をも作りだすことができる。その結果、若者の就業が可能になるというのである。これは実に希望の持てる話ではないか。

 グローバリゼーションが進行する今日、どのみち生産拠点は新興国に移らざるを得ず、国全体では、もはや今までのような雇用は十分創出できないだろう。しかし、こういう形で若者たちが地方へ向かい、限界集落を活性化することができれば、それは世代間の文化の継承にもなり、荒廃しつつある地方が、万葉以来の自然とともにある日本の姿を取り戻すことにもなる。

 そういう風に発想を転換して、いびつな日本の社会構造を根底から変えていくことが、ひいては、原発立地の複雑な感情を抱えた住民たちへの連帯をこめた脱原発運動ではないか。そこで教育の果たす役割がどれほど大きいことかと思う。「いい学校を出ていい会社に就職する」ために学ぶ時代は終わった。世の常識をあえて疑い、他者との関係を大切にしながら、かつ自己決定による自分自身の真の幸福を追求する態度を養うこと。それには、シューカツでも第一に評価されるというコミュニケーション能力を身につけ、柔軟な発想で、局面を開いていける人間を育てること。こういう人物があえて、大企業に背を向け、限界集落へ向かうなら、日本もまだまだ捨てたものではないだろう。