2014年4月26日、いま原発体制を問う~格差のない社会を目指して~、浜矩子さん講演

原発・核燃とめようかい、福島さんから浜矩子さんの講演記録が送られて来ました。


<内容>
■ 人間不在の経済政策、○○ミクスと呼ぶに値しない
■〈成長〉の意図は富国強兵、原発も、推進派の論理にひるまなくていい
■大企業が潤っても、美味い滴は下々には降ってこない
■ 安倍政権への支持層の悲痛と哀しさと危うさ
■ シェアからシェアへ、諸国共生は原発無しが前提

諸国共生という視点を加え、私たちの運動も各国でつながりながら展開していきたいと思います。

2014年4月26日、いま原発体制を問う~格差のない社会を目指して~、浜矩子さん講演

2014年4月26日 講演会

講演:浜矩子さん(同志社大学大学院ビジネス研究科教授、エコノミスト

演題:いま原発体制を問う~格差のない社会を目指して~

主催:原発体制を問うキリスト者ネットワーク

会場:四谷日本基督教団信濃町教会

 

連休中に興味深い講演がありました。エコノミストの浜矩子さんの講演です。

浜氏は、内閣総理大臣の安倍晋三氏が自画自賛を続ける「アベノミクス」を当初から「アホノミクス」と断じてきたように、常に安倍政権とその政策を厳しく批判・分析してきました。

 

この講演でも、原発と現在の格差社会を痛烈に的確に、かつユーモアも交えて語りました。

以下、概要を菊池が自分で取ったメモから要約しました。録音・録画等に基いていませんので一言一句の再現ではありません。落語好きの同氏のユーモアあふれる口調までは再現できなかったことが残念ですが、ご了承ください。

 

上記のような事情ですから、表現の細かな部分や多少の語句の加筆は菊池の責となります。 

 

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■ 人間不在の経済政策、○○ミクスと呼ぶに値しない

 

アベノミクスはアホのミクス、とこれまで言ってきましたが、少し前から、ド、をつけてドアホノミクスと呼ばねばならないようなありさまになっています。ところがここに来て最近は、「何々ミクス」という経済施策を表す用語を使ってあたかも経済政策であるような称号を与えるべきものでさえない、許されないことだと思うに至っています。

 

原発を問題にしその存在に反対と表明する時に、「反原発」という言葉を使いますが、私は「原発は反命(はん・いのち)」と考えています。それは、原発は人間の命と暮らしを脅かすものだからです。

 

同様に、安倍政権は人間に目がいかない、人をないがしろにしている政権である、といえます。それは安倍氏が繰り出している成長戦略のなかにその理由が如実に現れているからです。

 

安倍氏は昨年6月、成長戦略を滔々と語りましたが、この演説こそ「人間不在の政策」であることが現れているものです。これは近く改訂第二版が出るので注視が必要だと思っています。

 

この時の約1時間近くにもわたるスピーチの中で彼は「人間」という言葉を一度しか使わなかった。さらにひどいのはその使われ方。1969年当時の大阪万博を引き合いに出してそこに展示された「人間洗濯機」のことを挙げた中で名詞名称として使っただけです。

 

政策が人間とどう関わっていくか、という、本当に大切なところでは「人間」という言葉はひと言も出てこなかったのであります。

 

対照的に「成長」や「世界」などという言葉はそれぞれ40回前後も使っている。こんな政策には○○ミクスという呼び方をする価値もない、ということはこのことからも明らかです。

 

笑うことは犬や猫でもやりますね。でも、生きていくために経済活動をするのは人間だけ。経済活動のために人間があるのではなく、人間があり生きていくところに添っていくものとして経済活動があるのであって、経済活動はここから出発しなければなりません。

 

それにひきかえ、現政権下の政策の現実は、人と経済が明らかに対峙している。こんな、人権を踏みにじり人間を痛めつける活動を「経済活動」とは呼んではなりません。

 

ブラック企業という言葉がありますが、これは言いえている、と思います。

 

ところが、よく考えるとこれも(○○ミクスと呼ぶに値しないのと同様に)「企業」という言葉を使ってはならないことであります。

 

なぜならブラックなやり方をしている集団は「企業」と認知してさえいけないものだからです。ブラックな活動は経済活動と認知してはいけない。ブラックという言葉を使のうなら「あの集団は、あのやり方はブラックだから」と、ブラックで止めるべきです。

 

全く同様に、本源的に矛盾だらけのアホノミクスは〈ミクス〉でさえない、ということです。

 

■    〈成長〉の意図は富国強兵、原発も、推進派の論理にひるまなくていい

 

アホノミクスで安倍政権が狙っているのは、結局富国強兵です。経済成長で富国を、改憲で強兵を目指していることは明らかです。繰り返しますがアベノミクスをぶち上げた演説で、「成長」という言葉を41回、「世界」という言葉を37回使っています。世界一とか世界に冠たるとか世界を席捲するとか。これらの言葉はおぞましくも、目指すべきは世界制覇戦略であるという意味です。そして、原発推進は核武装につながる。原発推進政策は核武装への妄念というべきものです。

 

よく原発推進派が使う言葉に「電力がなくなったら経済が立ち行かない」とか「今の現実からみたら脱原発は無理」というのがあります。「電気が無くなって不幸になったらどうするの?」と言われると、脱原発や反原発を唱える人はふとひるむ。良心的な人ほどひるんでしまう。でもそれは恐るるに足りないことです。恐れてはいけません。なぜなら、その人たちが言っている幸せや便利な生活とは、原発を使うことによって作り出された〈底上げされた経済活動〉を前提にしているものです。

 

無くても足りる電力そのものを過剰に作ってそれで余計なものまで作って儲けようとする。そのようなまやかしを正当化して語るのが推進派です。〈経済成長と原発不可分論〉のまやかしを語るやからは、成長幻想に捕われている囚人のようなものでしかありません。

 

ところで、人々は何故〈成長〉にこだわるのか、〈成長〉といわれると弱いのか。それはこの言葉、この言葉の定義に人を惑わせるものがあるからです。

 

たとえば、仕事では新人が仕事が出来るようになると「あいつ成長したな」とか、人間関係がうまくできるようになると「人間的に成長したな」とか使いますね。

言葉自体は本来人や植物などが育って大きくなること、成熟すること、大人になることを意味します。

 

それが転じて、大きくなるとか多くなるとか良くなる、進歩してハイグレードに到達すること、という意味が含まれて来てしまったために、五感の中で〈成長〉への誤解が生じている。

 

ですから〈成長〉という言葉は経済の分野では使わないほうがいい。単なる〈拡大〉、と表現した方がいいように思います。経済に〈成長〉という言葉が持ち込まれ、使われることで〈成長神話〉が信奉されるわけですが、〈成長神話〉には誤謬があるといえます。

 

ひるんだ時には「大きくなることがどうしてそんなにいいことなんでしょうか?」と相手に問いかければいいのです。今、あってもなくてもどうでもいいような商品が満ち溢れている、それを大きくなることだと思っている相手です。

 

というわけで、(誤謬に基いている)原発推進派の脅しなんかにひるまなくてもいいのです。それに、論破もしなくてもいいのです。ひるんだ時に内心で『言い返して論破しなければいけない』と反射的に思ってしまうかもしれませんが、論破しようと考えた時にすでに相手の土俵に立ってしまうのですから、それを考える必要もない。

安倍政権は積極的平和主義とか言っていますし集団的自衛権に躍起になっていますが、〈丸腰の平和〉こそが最も積極的に平和を求める姿です。原発再稼動は富国強兵とつながっているので、本当に積極的に平和を追求するなら、原発再稼動はありえません。何せ原発は、原爆の原材料となるプルトニウムをせっせと作り出すものなのは皆様ご存知のとおりですから。

 

■    大企業が潤っても、美味い滴は下々には降ってこない

 

安倍政権は、海外企業の進出を促したり大企業が利益を大きくして行ったりして、その中から〈おこぼれ〉を下に下に落としていく――トリクルダウンで経済の活性化を図ると言っていますが、これは最悪の表現であり考え方です。下層に干天の慈雨を降らせるために強い者をより強くさせる、というのはまやかしです。なぜなら、トリクルはダウンしないからです。トリクルはラウンドするだけです。下じもに恩恵はない! そうは問屋が卸さないんです。

 

それが実証されたのはサッチャー政権時代のイギリスとレーガン時代のアメリカです。ここでは格差は拡大しただけで縮まることはなかった。トリクルダウンの嘘はすでに歴史が証明しています。

 

このように、歴史に学ばず、人間を幸福にするという思想も無い安倍政権は、弱者は徹底的に排除していきます。それはまさに富国強兵の時代になされたことと同じです。彼らに任せておいたら格差の解消はありえません。

 

また、経済には、それぞれの発展段階において、やっていいこととやってはいけないことがあります。途上国ではもちろん、経済特区などを作って国際的に援助を得、ある意味他人の褌で相撲を取ってそれで力を付けて経済的に強くなっていき、国民を豊かにしていく…という道筋は認められます。

 

しかし、日本のような発展国、経済も成熟した国では、特区政策はやってはいけないはしたないことです。これは格差の拡大再生産策でしかありません。

 

■ 安倍政権への支持層の悲痛と哀しさと危うさ

 

そんなことに血道を上げていないで、今やるべきことは〈諸国共生〉です。〈諸国共生〉の対極は〈世界制覇〉で、極限の奪い合い、奪い尽くしです。アホノミクスはつまり、奪い合いの論理そのものです。

 

対する〈諸国共生〉は、どんな合言葉を掲げ、どこを目指していくべきかを考えること。それは何かと言うと、〈シェアからシェアへ〉であります。

 

この会場の方々は説明しなくてもお分かりの方ばかりかもしれませんが、経済の世界では〈市場占有率〉をシェアと言いますが、シェアには〈分かち合う〉という意味があります。占有するシェアから分かち合うシェアへという発想の切り替えをすれば〈諸国共生〉への道となります。

 

分かち合いのシェアの心意気でいけば、どこを目指しどこにたどり着けば良いかが見えてくるはずですし、これこそが、多様性と包摂性とが出会う場所であり、行き着けば、そこが到達点となると思うのです。それがグローバル時代の理想郷といえるのではないかと思っております。

 

ところが今、TPP交渉が進んでいます。これは自由貿易協定と訳されていますが、実態は地域限定排他貿易協定にほかならず、地域を限定して特定で排除して奪い合いをするという貿易協定です。同様のことが行われたのは1930年代で、忌まわしい歴史があります。

 

このような現状なのに、安倍政権の支持率がなぜ高いままなのか、という疑問をお持ちの方も多いと思います。

 

安倍政権の支持者は以下のとおりです。

 

①    まずは、美味いトリクル(汁)を独り占めしたいという確信犯は当然支持者です。既得権益を守りたい層もそうです。

②    次は、中小零細企業の経営者など。こちらは涙ぐましいものがありますが、一縷の望みにもすがりたいという経営者の気持ちは察するに余りあります。

③    3つ目は、これが実は困ったなあという悩ましいもので、若い人たちです。若い人たちが、単純で強いメッセージに引き寄せられているという、②も悲しいけれど

 

③はもっと悩ましいものがあります。そしてこれが日本の現状でもあります。

 

日本は今、格差が拡大していく社会になっていますが、高度成長の道筋ではどうだったか。今ではすっかり評価を落としているかに見える年功序列・格差社会・護送船団方式など、格差を均そうという社会でした。そういう社会では包摂性は大きくて、社会から人をこぼれさせないシステムが基本でした。

 

ただし、条件があって、そこでは個々が突出しないこと、みんなが横並びに甘んじることでした。

 

反対に多様性は限られた社会だというわけです。

 

■ シェアからシェアへ、諸国共生は原発無しが前提

 

包摂性と多様性ということを表にしてみると、つぎのようになります。

 

2本の軸、包摂性を表す縦軸と多様性を表す横軸を交差させます。

 

縦軸は上に行くほど広、下ほど狭。横軸は右ほど多、左ほど少とします。交点に近いほど均一です。

 

今話したかつての日本はどこかというと、左上のゾーンですね。横並びで多様性が少ないけれど正規雇用や年功序列に守られて排除をしない、格差を少なくし社会全体で包摂しようという社会。

 

今の日本はその位置から右斜め下に向かっているところです。

 

右下というのは、生き方や働き方、価値観に多様性を認める代わり、格差の狭間で落っこちる人が沢山出てくる、そういう社会。排除の論理のゾーンです。これは今の欧州、ユーロ圏がまさにそうです。

 

同じユーロ圏でも、手堅い経済状況のドイツもあれば財政破綻のギリシャ、財政悪化のイタリアやポルトガルもある。同じ圏内でも財政事情はそれぞれです。

勤勉な、といわれているドイツ国民は、長時間のランチをして昼寝して労働時間の短い南欧に不満を抱いている、そういう排除もユーロは内包しているわけです。

 

右斜め下に行くほどに包摂性は無くなりますから、排除が強まる。多様性の中で排除し排除されていく、ということです。

 

ではそのお隣の左下はどんなところかというと、これはもう暗黒空間、です。どこかというと、ご存知のように北朝鮮、そして昨今ウクライナのことでも混沌としているロシアなども入ります。

 

日本の中で言うと大阪、ですかね。橋ズムが横行している大阪です。橋下人気や国政への影響は一時よりは下火になっているかに見えていますが、彼が市長になってからの大阪市政はひどくなる一途です。

 

さて、さっき申し上げた、我々が目指すべき理想郷はどこかというと、表の右上ゾーンの中です。より右肩上の方で暗黒の対極です。

 

高度な多様性と高度な包摂性が出会う所、そこが〈シェアからシェアへ〉が到達するところです。

 

それには原発の再稼動はどのようにしても止めなければいけないし「反命(はん・いのち)」である原発の共存はありえません。ですから、原発推進派がどうやったら引き下がるか、推進ということができなくなるか…ということをですね、常に頭の中で企んでいることが大事です(笑い)。人間は陰謀を練っている時が楽しいもので、頭を陰謀で一杯にしておくこと。それが肝要と思っています。

(2014年4月29日(火) 於:東京信濃町日本キリスト教会)

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 (まとめ:2014年5月6日菊池京子)

参考サイト  http://sun.ap.teacup.com/souun/14012.html